奥州市江刺区米里は、奥深い歴史を持つ山里である。昭和三十年代まで気仙地方へと向かう宿場町として栄えた。宮沢賢治の詩「人首町」の舞台ともなっている。 |
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戦時中における詩人や作家の動向は、一般には知られていない。ほとんどの文化人が、国策協力への道を邁進したが、その事実については、誰もが堅く口を閉ざしたからであった。「戦争協力」という問題が我が身にふりかかることを恐れてのことだった。 |
戦後の昭和二十一年四月、郁郎は岩手県庁に転任し、社会教育行政に従事。昭和二十年代後半には岩手大学の厚生課長を務めた。 |
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