◆天才バレエダンサーを生んだ江刺の風土
江刺・岩谷堂と西洋舞台芸術の粋「バレエ」とは、一見、全く結びつきがないような気がする。
江刺の風土と、小牧正英という天才ダンサーが江刺から出現した事実とは、何か関係があるのだろうか。
小牧氏の少年期は大正デモクラシーの時代。その頃、繁栄していた岩谷堂は、文芸が盛んな街であり、芸事に優れていることは、尊敬の対象にもなっていたという。
 また、江刺地方と周辺の地域では、鹿踊りや鬼剣舞などが古くから伝えられてきていた。その多くの伝統芸能は、今なお継承され、盛んである。小牧バレエ団・現団長の菊池宗氏は、少年時代に伝統芸能を見ていたことが、舞踏芸術に入るきっかけになったのだろうと語る。 「小牧は、かつて鹿踊りや剣舞をモチーフにした創作バレエを演じています。また、とても頑張り屋であることも、ねばり強い東北人らしい。この地方の風土が小牧の芸術を生んだのだと思います」小牧氏が自ら創作した「銀の簪」(3幕6景・グランドオペラ)は、江刺市米里(現・奥州市江刺区米里)を舞台にしており、この作品の第1幕第1景は、「種山高原」である。平成14年(2002)10月26日、小牧バレエ団公演が、新宿文化センターにおいて行われた。
 幸運にも私はこの日、公演前に小牧正英氏からお話を伺うことができた。
そのとき小牧氏は、江刺での思い出にふれて、「鹿踊りや剣舞が大好きだ」と話された。ふるさとへの愛情は、相当なものであるように私は感じた。小牧氏は、当時すでに江刺にあったミッション系の幼稚園に通われており、その時、ヨーロッパ的な雰囲気に親しんでいたことも、西洋の芸術を抵抗なく受け入れる要素となったのかもしれない。
 小牧正英という天才バレエダンサーが江刺から生まれたことに、何ら不思議はない。江刺は、ずっと「舞踊の郷」なのであるから。

小牧正英の写真が見つめる中で。指導は演出の酒井正光氏


小牧バレエ学園の洗足スタジオ(平成14年10月)

洗足スタジオでの「イゴール公」練習風景
(平成14年10月25日)


小牧バレ団の現団長・菊池宗氏

小牧バレエ学園洗足スタジオ内の書斎

洗足スタジオにある書斎の本棚

洗足スタジオの壁に掛けられた写真の数々
◆創作バレエ「マダレナ」について
平成14年(2002)10月26日、日本・モンゴル国交樹立30周年を記念した小牧バレ団の公演が新宿文化センターにおいて開催された。この日、平成4年(1992)に初演され、大きな反響を呼んだ「マダレナ」の3回目の上演が行われた。「マダレナ」は、小牧バレエ団2代目団長であった故菊池唯夫氏が創作したバレエ。みちのくキリシタンの殉教を題材にしている。初演後、再演を求める声が大きかったものの、そのテーマの重さ、子孫の思いの深さを感じたバレエ団側は、その後の上演はしていなかった。だが、平成11年(1999)に、3代目の団長となった菊池宗氏が改作して再演され、世界地域国際平和賞を受賞した。平成14年(2002)10月、3年ぶりに上演された「マダレナ」は、菊池宗氏が配役としての最後の舞台とした。菊池宗氏は「私の演じます後藤寿庵の仕舞いを天空に届くことを願って、私の最後の奉納舞にしたのです」と述べている。

世界地域国際平和賞を受賞した
平成11年の「マダレナ」公演1

平成11年(1999)の「マダレナ」で
後藤寿庵を演じる菊池宗団長

世界地域国際平和賞を受賞した平成11年の「マダレナ」公演2

【みちのくキリシタン マダレナ】

日時=2002年10月26日・27日
会場=新宿文化センター
原振付=菊池唯夫
改作・振付=菊池宗
補佐=坂井正光・森山直美
曲=オリヴィエ・メシアン他
後援=岩手日報社
電光字幕=朝日解説事業株式会社

時代/大江戸大殉教のあった年、元和9年(1623)
場所/陸奥国泪沢川上流、下嵐江鉱山 キリシタン60名が集落をつくり、マチアス半兵衛が統率していた
あらすじ/元和9年(1623)、陸奥の国に白拍子(キリシタン)の巡礼がやってくる。そこで一行の娘マダレナと村の青年マチアスが恋に落ちる。だが、この村にも弾圧の手が伸び、踏み絵を踏まないマチアスはとらわれの身に。マダレナは意を決して自首。村のキリシタン全員が捕まってしまい、厳冬の雪道を仙台まで連行され、広瀬川で処刑される。キリシタン武士、後藤寿庵が留守中のことであった。

思い出を語る小牧正英氏 写真右(2002年10月26日・新宿文化センター)
聞き手/酒勾俊明 撮影/高橋晋